オーディオ仕様の虚像3

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HiFi Clubのコラムを翻訳掲載

オーディオ仕様の虚像 3
オーディオスペックの虚像・THD(全高調波歪率)第3回/THD使用背景と結論

T.H.Dが重要なスペックになった時代的背景

どうしてアンプのT.H.Dが重要なスペックになったのでしょうか。1940~1960年代に真空管アンプが作られた時代にもT.H.Dというスペックがあったが、アンプの仕様は記載されていない場合も多くありました。それほど重要でなかったからです。

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有名なWestern Electric社の91Bアンプのスペック

1970年代にトランジスタアンプが本格的に普及し、サイズも小さくなり、製造コストも劇的に低下して大量生産が可能になって、それまで一部の特権層のみが使用できたホームオーディオが大衆化する決定打になりました。それとともに、それまでの真空管アンプとは異なり、トランジスタアンプはT.H.Dが低いことを強調して広告を行ったため、一般の人々はT.H.Dが低いことが良いアンプだという認識を持つようになりました。Googleで見つけた当時のアンプの雑誌広告ページです。

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1970年代、T.H.D 0.05%を大きくアピールしている当時のTRアンプ広告

この写真だけを見ても、多くのボタンとトーンコントロールダイヤルがあるということは、信号経路に余計なリレーと抵抗を使っているという事で、ボタンの1つ1つ、ダイヤル1つごとに音を損失させ歪ませると考えても間違えではありません。そして「0.05%Distortion」と掲げ、まるで歪みのないアンプのように広告しています。

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もう1つの広告を見てみましょう。宣伝文句に、0.02%の低いT.H.Dで、T.H.Dだけ低いのではなく、価格も最も安いと広告しています。このように1970~1980年代のアンプ広告は、T.H.Dが重要なスペックとされており、それによって多くの人がT.H.Dが低いのが良いアンプだという認識を持つようになったのです。

結果(T.H.D)ではなく、過程(高調波除去)が重要です

一般的なTRアンプは、通常0.05~0.1%以下の低いT.H.Dを表記しています。 しかし真空管アンプは、3%以上のTHDが出て、数百万円を超えるハイエンドクラスのTRアンプは0.1~1%のT.H.Dを表記しています。なぜこのような数値なのでしょうか。真空管アンプはそうだとしても、低価格のTRアンプがT.H.Dの数字が低く、数百万円もする高価なTRアンプが逆にT.H.Dの数字が高い場合があります。

T.H.Dが重要ならば、ハイエンドメーカーはなぜそのような高いT.H.Dを下げないのでしょうか。もちろん、0.005%といった信じられないT.H.Dを持っているハイエンドアンプも存在します。しかし価格が凄まじいです。これは、原音を損なわないでT.H.Dを下げるのは非常に困難だという事です。NFBを深くかけ、楽器で発生する固有の倍音まで損傷させて低いT.H.Dを作り出した結果よりも、どのように原音を損なわずに増幅素子の高調波歪みを最小限に抑えたか、その過程が重要です。

別の対策

もし信号の倍音(Harmonic)と、出力素子の高調波(Harmonic)を区別して、出力素子の高調波(Harmonic)だけを完全に除去できる技術があれば問題は簡単です。しかし、そのような技術はまだ実現していません。アンプメーカーでもNFBによって原音が失われるためNFBを使用しないnone NFB回路を採用する例もあり、ハイエンドメーカーでもZero NFB回路を採用したアンプもあります。

しかし、一般的なnone NFB回路の場合、狭帯域の周波数帯域、ダイナミックレンジ、アンプ出力の安定性など問題が発生します。NFBの欠点を補完できるための1つが古バランス回路です。信号の+とーを別々に増幅する方式で、ノイズに強く、長距離の信号伝送ができ、音質的に有利な回路です。音質に決定的な悪影響を与えるNFB回路の問題を最小限に抑えられます。

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フルバランス回路を採用したアンプ

しかし、フルバランス回路は+と-信号をそれぞれ増幅するために、部品が2倍になり、部品のクオリティや部品ごとのばらつきを高精度に測定して使わなければならないなど、製造上の困難があります。何よりも製造コストが非常に高くなる大きな短所があります。そのために一般のコンシューマー製品ではほとんど製造されておらず、ハイエンドオーディオでも一部のメーカーが採用している方式です。広告はバランス回路と書いてあっても、内部はアンバランス動作で、端子だけバランス端子になっている見た目だけバランスのアンプも多くあります。

ハイエンドオーディオアンプのT.H.Dが高い理由

ハイエンドアンプのT.H.Dは0.1%~1%まで高い場合があります。TRアンプの基準といえるT.H.D 0.1%に及ばないスペックです。その理由は「妥協」と言えます。「チューニング」という表現がより適切です。オーディオでは音楽に含まれる倍音情報などの弱い信号をどれだけ大切に生かすかが鍵です。それが音楽のニュアンスだからです。それでT.H.Dが高くなっても、それは歪みではなく、実際の音に最も近い音を出してくれるとの判断からです。

2次倍音は、素子(真空管、TR)を選別し、厳格な基準で部品ごとの特性のばらつきを最小限に抑え、更には同じ日に生産された極めて誤差の少ない部品を選別するなど、全ての製造過程が専門家の手作業で行われ、それで終わるのではなく、振動、絶縁、遮蔽など、原音の純度を維持するために多くの努力を行っているためです。それでこのようなアンプの多くは価格が非常に高くなってしまいます。

アンプ開発者の音楽的知識が重要な理由

映画を観ない人でもテレビの開発を行うことはできるが、音楽を知らない人は良いオーディオを作ることはできないと思います。ハイエンドオーディオの製作者インタビューをすると、幼い頃に楽器を演奏したか、音楽が好きでオーディオエンジニアの道に進んだ場合がほとんどです。良い音楽を聞かせるオーディオを作るために音楽の知識が何より重要です。楽器ごとの音色、倍音の特徴、いろいろなジャンルの音楽、コンサートホールの音響など、多くの知識と経験が必要です。このように音楽的な部分を考慮していないオーディオは、決して良い音を作ってくれることはありません。

世界最高と言われるハイエンドアンプを作る開発者のインタビューを一部引用します。

「私の祖父は有名なテノールでした。父はピアニストです。そのような家族の影響で幼い頃から多くの音楽に触れることができました。特にコンサート会場に非常によく通いました。毎週2回くらいクラシック、現代音楽を問わず、公演でコンサートの感動を受けているうちに、アンプを作ってみたくなったのです。14歳の時です。初めてアンプを作った時は、何の情報も得られず、大学の図書館に行って独学でオーディオを研究し始めました。」

有名なオーディオエンジニアは音楽と良い音が好きなのでオーディオの製作者となった場合がほとんどです。だからと言っても、良い音質のアンプを作るオーディオ製作者の全てが楽器の倍音や2次倍音、3次倍音の知識を持っているとは限りません。倍音の知識がなくても自分が知っている実際の楽器の音と音楽を知っているので、それを基準にチューニングしオーディオを作ります。

MP3の劣悪な音源ソースが大半である近頃では、一般的なコンシューマー向けオーディオを製作する大企業はどうでしょうか。大企業の開発室に勤務し、音楽を愛し、楽器ごとの音色、楽器ごとの倍音特性を知っている開発者がどのくらいいるでしょうか。音楽の知識を必要としない、電気や電子工学の専攻者がオシロスコープを見て、単純に数値だけ調整して作ったアンプは、電気的に完璧に動作しても、オーディオ的に良い音楽が流れることはありません。

たとえ分かっていても、音質を改善するために2倍の部品が必要で、良い部品を選別する必要があるので製造コストが上がってしまうという意見が出れば、製品はどうなるでしょうか。メーカーの目標は、安く、多く作って、最大限の利益を追求します。コスト削減を最優先として、安い部品で、部品のばらつきや誤差を構わず使うために過度なNFBをかけて、測定機で0.05%のT.H.Dにして、大量生産で低価格に発売されたような製品で、音楽を聞いても倍音が消えて歪み、固く聞こえるということです。 それこそが更に歪んでいるという事です。

したがって、オーディオのスペックのT.H.Dで分かる事は皆無だと言っても過言ではありません。T.H.Dは入力として正弦波を入れたとき、アンプ自体で発生する高調波歪率程度で、その過程で音楽の原音がどれだけ失われ歪むのかは、全く分からない数値の仕様です。